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あれから25年。 [時事]

阪神大震災から25年、の記事を見て、もうそんなに経ったのか、と思いました。
あの頃はまだ全然健康だった私は、揺れの最初の微動で目を覚まし、本格的な揺れに驚いて隣で寝ていた妹に覆い被さって庇い、揺れが収まってから両親の部屋を開けて無事を確認し、階段を駆け下りてテレビをつけました。インターネットもまだ普及していない時代、画面にまず近隣地域の震度が表示され、気象管区の違う阪神地区の地震だとわかるまで三十分以上かかったように思います。
何が何だか分からないまま、急に切り帰った画面に現れた長田区の火災、崩れ落ちた阪神高速に絶句して、揺れが収まってからまだ寝ていた母を呼びに行きました。当時、高槻に母方の祖父母、相生に大叔父が住んでいたからです。両方と連絡がついたのは確か昼過ぎ、どちらもものが落ちた程度で無事でした。その後、大叔母のヨーロッパ陶器コレクション全滅とかの報も入ってきました。うちのあたりは離れているのになぜか震度5弱(2年後くらいの発表。当時は4でした)まで揺れたんですが、大学に行くとそうでもなくて、神戸大学の図書館がひどい有様なこと、院生が何人か手伝いに向かう話が聞こえてきました。私は週末を使って祖父母の家を拠点に、神戸の物資集積地に集められた他の学生ボランティアと一緒に仕分けしたり運んだりしました。この辺のことはあまり良く覚えていません。
親戚に犠牲は出ませんでしたが、親戚の会社は潰れましたし、家屋も倒壊、立て直すのに祖母がずいぶん手助けしていたのをあとで聞きました。
あの時の揺れは身体に刻まれたように覚えていますし、まだブラウン管だったテレビにただ映る震度の映像、それからいきなり飛びこんできた神戸の状況を知らせる緊迫した声は、まとまったイメージとして染みこんでいます。

あれから、四半世紀。
凋落の時代だったように思います。
いまや、次の瞬間に何が起きてもおかしくない、その微妙な緊張感が社会に通底しているような気がします。
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